Story Of Someone

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 真っ暗な部屋に一人、小さく座りこんでいる。無機物になることにすっかり慣れた。最低限の息をして、目は開けたまま何も認識していない。ただそこに在るだけ。

 いつものように頭の中は黒い渦に侵されている。

 その渦がその日、少しだけ弾けた。

 それが成就への合図のような気がした。

 彼は立ち上がり、先日ホームセンターで買ってきたロープを机の引き出しから取り出す。

 

 いつからか厭世家になっていた。全てを憎み、嘆き、最後にはいつも自分を責め、全ての希望を捨てた。惰性の日々を過ごし、生きるエネルギーだけをすり減らしていく。もう生きていたくない、消えたい、終わりたい……毎日そんな言葉が頭の中を支配する。

 直接的な原因は今となっては分からない。しかしきっと生まれた時からその要素はすでに持っていたのだろう。どうしてこんなにも傷つく事が他人には平気なのか。小さなキッカケが積み重なり、膨れ上がり、絡まりあい、徐々に、確実に、精神を病んでいった。

 日に日に巨大な負の重みで地面にめり込んでいく自分の体。話しても誰にも理解されない。そもそも説明のしようがない。他人と共有できる言葉と感覚を自分は持っていない。もはや自分でも中心の見えない、ただ漠然としたどす黒い闇に覆われている。出口もない。どんなまっさらな布を被って誤魔化したところでじわじわと黒いものが染み出てきてしまう……昔は、確かに白かったはずなのに。

 もう限界だ。

 寿命を待つだけの苦行からはドロップアウトする。

 

 彼は部屋のドアノブにロープをくくり付ける。そのままドア上部からロープを通し、ドアの反対側に垂らした部分に輪をつくる。

 さようなら無意味な世界。さようならクソったれな世界。お願いですから死後の世界になど連れていかないでください。輪廻転生は勘弁してください。魂ごと木っ端微塵にして完全に抹消してください。お願いします、お願いします……。

 信じてもいない神や仏に最後のお祈りをすませ、踏み台に乗り、輪を作ったロープを自分の首にゆっくりとかける。

 それでは、さようなら。

 さようなら…………さよ、う、な、ら――。

 

 ところが覚悟と下準備が足りなかった。

 意を決して踏み台を蹴り倒し首に衝撃を受ける。次の瞬間、ロープの食い込む角度が予定と違い、意識を保ったまま全体重のかかった締め付けに悶絶する。今にも頭が破裂するような苦しみに目を見開き、もがき、ガンガンと足をドアに打ちつける。これでもかと暴れる自分の重さに蝶番が耐え切れなくなり、ガタッとドアが外れ斜めに傾いた瞬間、緩んだロープを必死に引きちぎる。そのまま床に崩れ落ち、えずきとともに体内に酸素を送りこむ。

 ……死ぬことも満足にできない。

 ゾンビのようにうめき、口から糸のように唾液を垂らす。絶望の涙で視界をにじませる。心臓が頭に移動したのかと思うほど激しく脈打つ頭で、何もできない自分を呪った。

 せめて、せめてもう……何も見たくない。

 弱々しく拳を握り自分の目を圧迫し続ける。しかしまったく力が出ない。床に落ちていたボールペンを拾い眼球に突き刺す。しかし恐怖のために寸止め。

 ……できない、怖い、どうしようもない。どうしようもない弱虫のクズ。

 涙がこぼれる。芋虫のように這いつくばり、額を地面に擦り付け、ただ涙をこぼし続ける。

 一時間ほどその姿勢のまま泣き続け、気付いたら少しだけ意識が飛んでいた。

 頭の奥がまだガンガンと鳴り響き再び目を閉じる。痛みだけが体を支配していて何も考えられない。渇きの不快感も襲ってきた。

「……は」

 カラカラに渇いた口から自嘲的な息が漏れる。本物の死へと続く痛みと苦しみに恐怖し、一時的にそこから全く逆方向へと遁走する。ただただ単純な本能的な生。だがその搾り出された意思などすぐに侵されまた同じ事を繰り返すだけなのに。何のために、体の欲求に応えるのか。

 それでも渇きを癒したいと、頭を押さえながらゆっくりと体を起こす。水を求めてふらりと立ち上がり、一歩足を踏み出す。

 すると足元には涙の水たまりがあった。

 あっ、と思うと同時にズルリとすべり体勢を崩す。

 前のめる。

 眼前には先ほど自分が蹴り飛ばした踏み台の角がスローモーションで迫ってきて――。

 ヤバイと思ったときには顔に衝撃が走っていた。直後、眼球をえぐられるような鋭い痛みに襲われる。

 

「……グゥゥッぁぁぁっっっ!!!!!」

 

 この日、この世界で同じようなうめき声が、三ヶ所で同時に上がった。