Story Of Someone

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 カンカンカンカンカンカン……。

 遠くの方で鐘を打ち鳴らすような音が聞こえていた。……自分は死んだのだろうか?

 まだ上手く働かない頭でぼんやりその規則的な音を聞いていると、少しずつ意識がはっきりしてきた。

 カンカンカンカンカンカン……。

(……あれは…………)

 しばらくして鐘の音に被さるように小さく、カタンカタン、と列車のジョイント音らしきものが聞こえる。きっとそうだ。やはりあの鐘のような音を発しているのは踏切警報機。貨物列車だろうか、結構な長さの『カタンカタン』が続き、その音が更に小さく遠くの方へと吸い込まれていくと辺りは無音の世界になる。……いや違う、よく聞けば鳥たちの声がひっきりなしに続いていた。

 死の世界にしてはごく普通の日常音に耳を傾けながら、相変わらずどこかに寝転んでいた。風にさらされて少し肌寒い。

 前方には微妙な色が広がっている。濃い青とピンクを混ぜ合わせたような淡いグラデーション。端の方にいくと少し白っぽい。……夜明けの空の色だ。

 これは地球だ。地球の朝だ。

 清々しい朝の空気に包まれ、脱力して大の字に横たわったまま、静かに空を眺めていた。不気味な闇と共に周りに立ち込めていた死の臭いも消えている。自分がどこにいるのか詳細は未だわからないが、消えゆく星の瞬きを、光が闇を押しやっていく空の様子をただ眺めていた。

 自分は生きている、そう確信した。そのことについてさほど残念な気持ちにはならなかった。

 そしておそらく今、外にいる。それもどうやら少し高い場所に。

 

 首をひねり辺りの様子を伺う。

 自分が寝転がっている地面はどうやら硬いコンクリート。所々ひびが入り、その隙間から雑草が顔を出している。そこら中にパイプ椅子や針金の束などのよくわからないガラクタが転がっていて、貯水タンクのようなものが視界の端に見える。自分の頭の上の方には空調機器らしきもの。とにかく全体的に錆びている。屋根はなく、近くに建っているであろうビルの先っぽが見えるので、どこかの屋上だと思った。雰囲気と臭いからすると廃墟ビルだろうか。闇の中で寝転んでいた場所とはたぶん違う。

 首を少し持ち上げて自分の体を見下ろすように視線を送ると、開いた両足の先の方に、自分と同じように仰向けに倒れている人間が二人見えた。ハッと体に緊張が走る。……闇の中に一緒にいた奴らだろうか。一体何者だ?

 男か女か――その顔を確認しようと、二人の人間の頭部にフォーカスを合わせていく。しかし二人とも足を手前にして倒れているので顔がよく見えない。更に首を持ち上げて覗き込もうとした時、二人の首がひょこっと持ち上がった。

 起き上がったその顔を見てギョッとする。二人の顔は、口や鼻といったパーツの存在がなく、頭部全体がツルンとした目玉そのもののような状態だったのだ。

 開いたままカラカラになっていた口を閉じ、その顔を凝視する。

 某有名な目玉のおやじ、そのコスプレをしているのだと説明されれば大いに合点がいくが――いや若干、何かの的のようにも……そんな奇妙な姿である理由を頭の中で懸命に探すが、どうも思考が定まらない。何かがおかしいという感覚だけは保ったまま、しばらく二人の姿を交互に見比べていた。その時に気付いたのだが、二人も持ち上げた首を細かく左右に振り、自分と同じように驚いているような素振りを見せていた。

 よくよく見ているうちにようやく謎が解けた。二人の目玉のようなものが“絵”だと気がついたのだ。目玉の絵が大きく描かれた黒い布を二人は頭に被っていた。黒い布が周りの薄闇に溶けていたせいで目玉だけが浮き上がって見えていたのだ。

 それにしても何故そんなものを? 本当にコスプレをしているわけではあるまい。

 頭の形にジャストフィットしている様を見て、まるで覆面レスラーだなと思った。

(……!)

 と、そこで、そういえば闇の中で自分にも布が覆いかぶさってきたことを思い出す。もしかして自分も二人と同じようにマスクマンになっている? 二人の驚くような視線を自分も感じていたのはそのせいなのだろうか。

 持ち上げていた頭を地面に戻し、体の横へ投げ出していた手を引き寄せて顔に当てる――ぴったりとした布の感触……やはり。

 闇の中で襲われていた時よりはフィット具合に少し余裕があるが、それにしても今は息苦しさが全くない。というより覆われている感じ自体がない。自分が頭にマスクを被っている事にも気付かないほど全てが自然だった。

 意識ははっきりしているつもりだが、先ほどから上手く頭が働かず、深く考えようとすると頭の中を水で薄められるような、上手く思考にピントが合わない状態から抜け出せないでいる。不思議に思いながらもそのままぼんやり布を触る自分の手を掲げて見つめる。一本、二本、三本……と、以前自分で付けた切り傷を何となく数えていると再びハッとし、自分の目が見えていることに今更ながら気付く。

 しかしどういうことだ? マスクは頭全体を覆っているし、目出し帽のように目の部分に穴が開いている訳でもない。そして自分の眼球の感触は、いまだ戻ってきていないのだ。

 眼球がないのに、顔を覆っているのに、何故見えている?

 

 三人は同時に体を起こした。片膝を立てて、あぐらで、足を投げ出して、円を作るように等間隔に、三者三様の形で座っている。

 お互いの姿を初めてしっかり観察してみた。喪服のような真っ黒な服で全身を包み、頭に目玉マスクを被った、体つきからしてどうやら男二人。きっと同じ格好をしている自分も入れて三人。

 異様な姿の三人組の男が廃墟ビルの屋上に座っている……。

 しばしの間を挟んだあと、急に笑いが込み上げてきた。たまらなく可笑しい。他の二人も同じようで、三人全員が顔を伏せて小刻みに体を揺らし始めた。

 何なんだよお前ら、仮装大会ですか? 趣味なんですか?

 今までに感じたこともない気持ちだ。突然何かのスイッチが入ったかのように何だか無性に楽しい。まるで酒に酔って出来上がっている時みたいだ。とにかく全ての出来事が自分のツボを刺激し、笑わずにはいられない。

 しかしまた新たな異変にも気付く。今まで黙っていた人生の分、ものすごく大声で笑いたくなったのに、声が出ない。音さえも出ない。心の中はすごく楽しいのにこの異変はとても不便だった。この昂る気持ちを思う存分声に出して叫びたかった。他の二人も同じ症状なのか、誰一人として声を発さない。

 とりあえずマスクの中で大口を開け、ジェスチャーのみで三人は腹を抱えて転げまわった。本当に自分はどうしてしまったのだろうか。こんな怪しげな、どこの誰かも分からない相手を前にしているのに、気分は最高にハイである。たまらない。お前ら皆大好きだ。バカみたいに楽しい!

 

「ハイ、ドウモ」

 

 突然、無機質な声が響いた。眼球があったら鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。ぽかんとした表情で動きを止める。他の二人も同じように固まっていた。

 三人はゆっくりと体を起こし、声の出所を探すように頭を左右に振る。しかし周りには彼らの他に誰かがいるような気配はない。あんな至近距離で響いた声だ、そう遠くにはいないはず……そんな馬鹿なと思いつつ、もしかして幽霊かもしれないという考えもよぎってしまう。

 三人は互いに顔を見合わせ、全員マスクマンなので表情は読めないが、今なにか聞こえたか?、というジェスチャーをする。

 

「体調ハドウデスカ? 処置ハ無事完了シマシタ」

 

 続けて響く声に全員再び固まる。至近距離というより頭の中に直接響いたように感じ、その初めての感覚に肌を粟立たせる。しかも抑揚のない機械音。そんな声に意味不明な事を言われると正直、気味が悪い。幽霊の声とはこんなものなのだろうか?

 

「エー、オマ……皆様、…………ア? ……ア、チョット待ッテクダサイ…………………………えー皆様……はい、オーケーオーケー」

 

 何かゴソゴソとした雑音の後に、無機質な声から滑らかなアクセントの声に変わった。それにより何か文明を感じ、三人は幽霊ではないかという予想を消す。

 

「えー皆様、珍しいタイプでした。同じ日に首を吊って、同じように失敗しました。そして何やかやあって、ほぼ同時刻に踏み台の角に眼球を強打しました。あれちょっと不覚にも笑ってしまいました。……で、その時、眼球スイッチ入りました。罰として皆様の眼球を没収しました。でも代わりにもう、世界が綺麗に見えるだろ?」

 

 三人はまだ動かない。聞き取りやすい声になったとは言え、やはり素直に入ってくる内容ではない。マスクの中で眉間にシワを寄せ、頭の中に響いた言葉を反芻する。

 ここにいる二人は自分と同じように首吊り自殺未遂者? そして眼球強打者? ……なんとも奇遇なこともあるもんだ。しかしその他はサッパリわからない。眼球スイッチが入ったから眼球を没収したという。つまり、コイツが俺の眼球を奪った犯人らしいことは分かった。それは分かったのだが、眼球スイッチとは何だ?

 

「世界、見ました?」

 

 再度頭の声に尋ねられ、どういうことだ? と首をひねってみせる。

 

「世界、見ろよ! もう見え方が違ってるはずだ。見てください、とっとと!」

 

 何だか口調の安定しない声に急かされるように言われ、三人は更に首をひねりながら探り探り立ち上がる。

 世界を見ろ? なんだかデカイ話だなと思いつつ、今自分達ができる事と言えば世界=景色を見下ろすことだろう。三人は手すりの方に移動し、屋上から見える景色を並んで眺めてみた。

 まだ夜の闇がうっすらと残る明け方の風景。これからまた新しい一日が、息を吹き返すような心地よい風と共に始まろうとしている時間帯。眠れぬ夜を過ごし死んだような目で何度か見たことのある風景だ。しかしこんなに鮮やかに“色”は付いていなかった。もっと鈍い灰色にくすんでいた。だからまるで違う景色に見える。

 少し呆けたように景色を眺める三人に、頭の声は続ける。

 

「な? イイ感じに見えるでしょ? おま……皆様の陰気臭い中身は吸い出しましたから。あんなドス黒いのは久々に見ました。本当はもっとお代がかかるのですが、三人セットだったので今回から導入されたセット割が発生したようです、良かったですね」

 

 相変わらず要領を得ない頭の声。中身を吸い出した? セット割? 何となく言葉の雰囲気からわかりそうなものもあれば、全く意味が分からないものもある。とりあえず眼球スイッチとは何だ? それにより眼球を没収されたそうだが、今周りが見えているのは何故だ?

 三人はひねりっぱなしの首で互いを見合う。至近距離での目玉マスク。微妙に色合いの違うその二つの柄はデフォルメされているせいかやはり少々「的」にも見える。きっと自分も似たような色違いの目玉マスクを被っているのだろう。

 ……目玉。

 まさかと思いつつも三人ともそれに思い当たり、互いの顔を指差す。

 もしかして、これか? このマスクが目なのか? 俺たちはこのマスクを通じて目が見えていると?

 

「その通り! そのマスクこそ我々の持てる技術を最大限に発揮して作り出した代物!」

 

 頭の声が待ってましたとばかりに説明を始める。実に誇らしげである。

 

「そのマスクは眼球の代わりとして皆様に進呈しています。勿論、無料です! 友情の印! それで視力を補っているのです。よく見えるでしょう? しかも、眼球スイッチの入ったアホどもには二度と同じ過ちを繰り返させぬよう、そのマスクで意識のスタンダーダイゼーション(画一化)も行います。一つで二役、嬉しい効果! しかし意識のスタンダーダイゼーションには莫大なエネルギーが必要になります。そのお代だけは皆様に負担していただきます。ただしお前らの場合はセット割が発生しているので声帯のみです。一度にまとめて処置をするとやはり時間と手間の節約になります。ご協力感謝します!

それから、意識のスタンダーダイゼーションの際に我々の作り出す物質が体内に入ったため、今までのエネルギー補給は厳禁です。今までのエネルギーは全てアレルギーになりましたので気をつけましょう」

 

 次々とよく分からない事をしゃべり続ける頭の声を受け、三人はマネキンのように固まっていた。マスクの中で口だけが開きっぱなしになっている。声の出ない声で「へえ」と頷くのが精一杯だった。

 

「オーケー?」

 

 頭の声が言う。オーケーではない。

 しょうがないですね……と三人はもう一度全く同じ説明を受け、ようやくその内容を頭で整理し始めた。

 ……目玉マスクは無料で貰えるが、意識のなんとかのエネルギー代は必要で、だけども、セット割が発生しているので、声帯のみで済んだ、と。へえ……エネルギー代が声帯ということなのか。つまり俺が喋れなくなっているのは声帯を"徴収”されたから? それって何かお得なのか?

 畳みかけるような口調で人を騙す詐欺師を頭に思い浮かべた。しかし騙すにしてもあまりに話が突飛すぎる。一体どういうシステムなんだ。金がないから内臓で払う、みたいなものなのか? まさかマッドサイエンティストに捕まって俺たちは知らぬ間に人体実験の被験者、なんてことは……。

 本やテレビやゲーム、様々な媒体から植え付けられた様々な実験シーンを思い浮かべるも、やはり何か胡散臭さが勝ってしまう。

 顔を動かさずに視線だけを動かそうとしたが、この目玉マスクは眼球の滑らかな動きは再現できないようで、カメラを覗いた時のようにカッチリとフレームが固定されている。そもそもどういう風に視神経と繋がっているのかは謎だが、視界の端に見切れたものを見たければ頭自体を動かすしかない。三人は同時に首を曲げ、それぞれ顔の向きを変えた。

 しかし……と三人は思う。「なにそれどういうこと?」や「いや、まさか……」な展開に次々と襲われる中、「あ、なるほどね」と素直に受け入れられていることが一つだけある。

 とても信じがたいことだが、『中身を吸い出した』という言葉の意味だけはとてもリアルに、違和感なくストンと腹に収まっているのだ。

 いやもちろん、眼球や声帯の異変についても大いにわかっている。実際のところこれ以上の"動かぬ事実”はないだろう。しかしそれには「どうして? どういう仕組みで?」とそれなりに理由や答えを欲すのに対し、『中身を吸い出した』という事柄については、「あ、そうだよね、吸い出されたよね、だってこんなにいい気分なんだもん、ありがとう」と、理屈なしに受け入れられているのである。

 今の自分には寄生虫のように巣食っていた負の感情がない。自分でも引く程、ものすごく楽観的になっている。性格が変わったと言っても過言ではない。溢れてくる疑問への処理や考え方がまるで違うし、そもそも物事を深く考えていないような……人体実験? まあ死なない程度になら別にいいんじゃないの? という恐ろしく前向きな結論が下されていく。

 それはつまり、全てを「アリ」の方向へと運んでいってしまう。一言で言うと「細かいことはどーでもいい」。果ては一分前まで欲しがっていた理由もいらなくなるほどに……。

 ドーパミンでも多量に分泌されているのだろうか……まるで麻薬だ。そしてその恐ろしさにも興奮してワクワクしてしまっている始末なのである。

 そんな気持ちの昂りのためかマスクの中でやたら動き始めた表情筋を感じつつ、三人が今知りたいのは、結局エネルギー補給はどうなるのか、眼球スイッチとは何なのか、今しゃべっているお前は誰だ? という事くらいだった。

 

「では、何か質問ありますか?」

 

 頭の声がタイミングよく言ってきたので、三人はそれぞれ頭のなかで疑問をぶつけた。

 眼球スイッチってなに? エネルギー補給はどうするの? あんたは誰?

 頭の声はまたごそごそと雑音を発し、続けてごくごくと何かを飲むような音を出した後、話し始めた。

 

「眼球が損傷した場合、眼球のコアに設置されたアラームでこちらに連絡が入ります。それが眼球スイッチです」

 

 また突然出てきた『眼球のコアに設置されたアラーム』という謎ワードに眉をひそめるも、三人はとりあえず黙って聞くことにした。

 

「眼球スイッチにより連絡を受けたら、我々は急いでその場に飛んで眼球の保護に入ります。破壊された直後の眼球ならば、我々の技術があればまだ修復が可能なのです。

そして眼球を損傷に追いやった者は、故意ならば当然ですが、例えそれが過失や事故の場合でも眼球の保護責任を放棄したとみなし、罰として眼球を没収します。一応マスクによる別の視力を与えはしますが、“眼球でものを見る”という行為、その尊さを思う存分味わってもらうためです。失ってから気付き、悔やんでもらいます。そうすれば意識のスタンダーダイゼーションとも相まって、もう二度と、その者は眼球を粗末に扱うことをしなくなるからです。

また他人の眼球を傷つけた者も同様に、眼球を没収します。姿をくらましても必ず見つけ出して没収します。決して逃がしはしません。眼球を傷つけること、それすなわち重大犯罪なのです。

そして没収した眼球についてですが、これも我々が発明した『眼球保存液 F.K.』というものに浸けておけば、眼球は独立した状態で生き続けられます。ホルマリン漬けなどではなく、細胞もきちんと生き続けられるのです。返す事はできませんが皆様の眼球も全て元気に生き続けておりますのでご安心ください。

ちなみに眼球を抜き取った際の痛み・感染症などのケアは完璧に行っておりますので、これまたご安心ください。ですが一番最初の、眼球の損傷のきっかけになった出来事と共に死んでしまった場合は、眼球だけを抜き取り、体はそのまま土に還します。

エネルギー補給につきましては、正直言ってもう出来ません。今までのご飯が食べたければ食べてもいいですが、そのままアナフィラキシーショックで死んでいただくことになります。しかしそのマスクを通して定期的にエネルギーを送りますので、マスクを被っていれば餓死する事はありません。よってあまり気にしなくて大丈夫です。

私は眼球愛護団体の一人です。命を粗末にするのはともかく、眼球を粗末にするのは許しません」

 

 一定のテンポで淡々と、特に訊いてもいない事まで長々と語る頭の説明が止まると、少し考えるような間をとり、三人は何度か頭を縦に振った。

 そのまま振り続ける。納得したのだと自分の体に言い聞かせるために。

 眼球愛護団体……何だかNPOみたいな響きだが、眼球がすごく大事なんだということはとてもよく分かった。まるで眼球が世界の中心で、眼球が世界を救うとでも言うかのように尊い存在で……。つまり何なんだろう、一体何なんだろう……なんだこれ? 体の良いコレクター集団? それともヤクザな方たち? いや、ははは、そして更に香り始めたSFワールド。あはははは、ダメだもう、笑いがこみ上げて来る。

 三人の頭の縦振りが笑いのためにぐらんぐらんと不規則な揺れに変わる。

 世に大量のフィクション作品が溢れているおかげで言っている意味は何となくイメージとして思い浮かんだが(半分くらい分からなかったが)、現実世界での事となると理解は遥かに遠い。しかしもうこの際、仕組や理屈はどうでもいい。いくら詳細に説明されたところでキョトンとして驚くこともできないだろうし、すでに全ては事後だ。俺たちに選択肢は最初からない。納得するか、しないかだ。胡散臭さにまみれていても自分の現状を考えれば余裕で受け入れなければならないことだ。そうだろう? そうでなければ俺たちの存在自体がまるで嘘っぱちだ。

 三人は頭の揺れの振動をそのまま体へと連動させ、ヒップホップダンスのように上下のリズムを取り始めた。

 よくよく考えてみればかなり一方的に被害をこうむっている気もするし、お前らに何の権利があってそんな勝手なことしてんだ、場合によっちゃすごく余計なお世話だYO! とも思うが、自分たちは一度命を投げ出した人間、今更何をされようと文句は言えまい。いや言ってもいいのだろうが、言う気が起きない。

 つまりどういうことなのか、分からないなりに少し整理してみようではないか。

 まず大雑把に言うと、俺たちは一度死んで、違う体になって生き返った……かなり雑だが、大体どういう事かって言ったらそういう事なんだろう。

 そしてその時に眼球は失くしたけど、代用品の目玉マスクで視力を自然に補っていると。見え方も大して眼球と遜色がないし、罰という割にはサービスがいいと思う。

 そして今まで大嫌いだったこの世界がそんなにクソだと感じなくなったと。それは結構、この世界を生きる上で大きい。生きる気力というものは生物に絶対不可欠なものだ。厭世観なんて抱えていたら本当に全てが台無しだ。

 そしてそしてマスクを被っていればエネルギー補給の必要はもうないときた。空腹の煩わしさも手間のかかる食料調達、そして調理からも解放される。好きなように漂って、好きな場所でくつろげばいい。それって最高にフリーダムだろ?

 唯一のデメリットと言えば完全に声を失ってしまったことだが、それ以外なら俺たちが憂うような環境はすべて排除されたという訳なのだ!

 

 ザッツ アメーーーーィジンッッ!!

 

 三人はそれぞれのポーズで喜びを噛み締めた。そして互いに抱き合った。とにかくハイなテンションも手伝って体全体でノリノリに喜びを表現し、とうとう最後は踊りだした。

 

「喜んでいただけて何よりです。これでもう我々はパートナーですね!」

 

 頭の声が煽る。三人はハチャメチャな踊りでそれに対する返事をし、今ここに体をゆだねるアッパーチューンがないのが残念だ、などと考えていた。完全にナチュラルハイ。いや、本当にナチュラルなのか?

 新しい人生を願っていたわけではないが、思いもよらず手に入った新しい体。しかもそれが少々チート入ってるときたもんだ。何もしなくても最低限の“生”は約束されている。踊らずにはいられない。三人は狂ったように無音の屋上で踊り続けた。

 

「いやあ、そんなに喜んでいただけると処置をした甲斐があります。自分たちを褒めたいです。まあ、今後は人間らしい生活はできなくなると思いますけど、大丈夫ですね。イケますね。頑張ってください!」

 

 サラリと言った頭のその言葉が妙に引っかかった。何かノレない雑音。それを機に三人の踊りが徐々にゆったりとしたものに変わっていく。

 人間らしい生活が……できなくなる?

 その小さなしこりのようなものに乱され、ゆるりゆるりとした三人の踊りはとうとうピタリと止まる。すっかり大人しくなった三人は棒立ちになり、頭の声が自分たちの疑問に答えてくれるのを息を整えながら待った。しかし頭の声は「あら……」と一言発したきり何も言わない。まだ早朝の静けさを保つ屋上でお預けを食らったかのようにそわそわし始める三人。しかし頭の声は無言のままだ。言うだけ言って放置プレイ? 今までで一番その詳細が欲しいというのに。

 それからしばらく待ってみたが頭の声はウンともスンとも言わない。もうこの脳内通信? は終わったのだろうか。だんだんどうでもいいような気がしてきたが、他にすることもないし、各々首をかしげると「せっかくこういう話題が出てきたのでね」というように、どちらかと言えばまだ快楽が勝っている脳の中に不安材料を探し始めてみるのだった。

 人間らしい生活か……言われてみれば確かに、いくら精神が生まれ変わってもこのマスク必須の生活なら、今までのような人間的な生活は少々キツイのかもしれない。

 三人は顎の下に手をあてて「考えるポーズ」をつくり、さらに具体的な不都合を想像していく。

 今までも別に「ザ・まとも人間」な生活はしてこなかったが、それでもこの世界を生きていくなら少なからずお金が必要になってくるだろう。そのためにはやはり基盤を作らなければならない。

 お役所や面接会場に出向いた時にこのマスクを被ったままだと「ふざけるな!」と叱られるに違いない。最悪、強盗犯か変質者と間違われてしまう。それならばとマスクを脱いで挑んだ場合、口も利けない上に目も見えない人間になる。その二重苦ですでに俺は赤子以下だろう。ヘレン・ケラーのように優秀でもなんでもないし、助けてくれる先生も友達もいない。……ダメだ。

 ではマスクを被ったまま特殊な人種としてストリート活動をする事にしたとしよう。しかしその場合も秀でたパフォーマンス能力が必要になってくる。俺にそんなものがあるのか? ただ奇妙な格好というだけで何もない自殺未遂者に人々が興味を持つとも思えない。運よく誰かに拾われたとしても、芸もない・喋れない・可愛くないじゃ人気も出ず、よくて汚れ仕事や屈辱的な仕事、そしてそのままブラックな条件の下で飼い殺されて一生を終える恐れもあるのではないか?

 妙にスラスラと不安が思い浮かんでくる。かしげた首が少しずつ下に垂れてくる。

 ……しかもこんなに世界中に美味しい食べ物が溢れている中、つまみ食いは禁止なのだ。飢え死にはしないけど、美味しいと思いながら食べることの幸せはもう失ってしまった。それは人生の楽しみをかなり削ってしまっているとも言える。

 そして俺たちはもう大声で笑えない。叫ぶこともできない。頭に溢れてくる感情や言葉をダイレクトに発信できない。興奮状態や極度のストレス状態に陥った時に果たしてそれに耐えられるだろうか?

 考えれば考えるほど三人のうつむく角度は深くなっていった。脳内の快楽物質はすっかり影を潜めてしまっている。それとも一気に出過ぎて脳みそがショートしてしまったのか。この脳内環境、この思考回路の行く末は、自分のよく知っているものに似ている気がする……。少し呼吸が浅くなっている。

 ……もしかしたら俺たちの代償は思っているより大きいのかもしれない。実はこの体はかなり制限を食らっているのかもしれない。……大丈夫なのか? 俺たちは本当に生きていけるのか? 五体満足だった時でさえ俺たちは生きていく事ができなかったのに? 頭がおかしくて不満足だったのかもしれないが、だけども俺たちはまだ人間だった。姿かたちだけは周りに溶け込むことは出来た。なのに今の俺たちは……。

 なにかいきなり体調が最悪になってきた。いてもたってもいられない焦燥感に激しい動悸が襲ってくる。酸素がうまく体を巡らない。

 俺たちは……、俺たちの幸せのために、もういっそ山に籠もるべきだろうか? 仙人になるのが一番の平穏なのだろうか? しかしそんな生活……俺たちに、一体何の意味が……?

 三人は首を深く曲げたままガクリとひざを折り座り込む。そして自らの体を襲う不調にじっと耐えるように拳を握り、歯を食いしばり、石のように固まってしまった。

 

 明るみ始めた空の色が淡い水色と橙に変化している。ひんやりとした風が屋上を吹き抜けていった。カンカンカンカン……と、近くの踏切の警報機がまた鳴っている。

 固まっていた三人のうちの一人がふと顔を上げ、屋上から見える街の景色に目をやる。そのままふらりと立ち上がり、しばし静止した後、ゆっくりと手すりの方へ近づいていった。

 少し錆びの浮いた手すりにそっと両手を乗せて下を覗き込む。このビルは何階建てだろうか。どれくらいの高さがある?

 そんな彼の背中を他の二人が座り込んだまま静かに見つめていた。もしかしたらそれが起こるのだろうかという微かな予感と、それが起こったところでそれはどうしようもないことで、誰にも止める権利などない、という思い。

 ビルの手すりから眺める真下の地面。ずっと見つめていると遠いのか近いのか距離感がわからなくなってくる。めまいを起こした視界のようにぐらぐらと歪み、渦を巻いて、おいでおいでと自分を呼んでいるような錯覚を起こす。何度も同じような風景を目に映し、そこに飛び込む事を頭の中で思い描いた。何度も同じ場所に立って、何度もシミュレーションをして、その灰色の地面に横たわる自分の姿を想像もした。だけどその未来は未だに達成されずに……俺はいつも最後には、目をつぶっていた。

 彼はマスクの中でふっと口元をほころばせた。そして顔を上げると、今度は辺りを見渡すように首を様々な角度へぐるぐると動かす。マスクの中で更に口を開き、歯を見せて笑う。他の二人がマスクの下で少し不思議そうな顔をして、その動作を見ていた。

(クソだ)

 笑いながら彼はそう思った。本当に、相変わらず。どうしようもないクソっぷりで、本当にクソみたいな根性だ。でも――。

(……でも、死んだ)

 彼は再び目の前に広がる街の姿を見る。少し強めの風に顔を撫でられても「目を細める」ということはもう出来ない。でも見えている。感じている。どうしてか俺は生き残っている。

(首吊って死んだ。もう、どうでもいいじゃんなぁ?)

 何故だろうか、この、色の付いた“新世界”を見ていると、自然と笑みがこぼれてくる。ざわざわするような胸の焦りも消えていく……。

 再び脳内に何かが湧き始めるのを感じる。今度はなにか、ふわふわと心地よい。セロトニンだろうか?

 大丈夫。

 声は出ないがそう呟いた。そう多分、俺は大丈夫だ。どうにでもなれる。俺は死んだから。あんなに深く地面に根を張ってうずくまってたくせに、立つことさえも苦しかったのに、生きていることが苦痛でしかなかったのに、今の俺はマジで飛べる。間違ってもここから飛び降りたりはしないけど。

 胸を反らすように両手を持ち上げ、更に大きく口を開けて笑う。俺は浮遊する。周りから聞こえてくる鳥のさえずりに気持ちを乗せる。空気が凜としてうまい。スーハースーハーとわざとらしく息をする。何をしてる? それすらもどうでもいい。俺はただこの体がしたいことをする。スーハースーハー。ほら、もうすでに楽しい。自分の一挙一動にここまで楽しくなれるなんて本当にお気楽なバカなのだ。

 そして先ほど自分で思い描いた不安を否定するかのように、いやいや、と首を横にふった。

 そんな必要はない。仙人なんかにわざわざならなくてもいい。俺たちはただ一歩さがればいいだけだ。少しだけまともな人間の生活を諦めればいいだけ。まともじゃない生活の仕方は心得ているではないか。

 彼は自分の後ろにいる他の二人を振り返り、手の平を広げて肩をすくめてみせる。それを見た二人は少し安心したような息を吐き、マスクの中でふっと笑う。そのまま可笑しくなって、体を揺らしながら頷きを繰り返す。

 そうさ、お堅い場所にさえ出て行かなければきっと、ふざけた連中として扱ってもらえる場所もあるはず。俺たちは本当に狭い世界でしか生きてこなかったから知らないだけで、世界はもっともっと広い。もしかしたらそこでお金も稼げるかもしれないし、イッちゃってるアウトローの一員にだってきっとなれる。

 座り込んでいた二人も立ち上がり、三人は再びそろって奇妙な踊りを始める。ゆっくりとコンテンポラリーダンスのように。漂うように。

 食べることの幸せはずっと前に捨てたようなものだ。ただ草を噛むように無感動に食べていた頃のツケが回ってきてしまっただけ。少しひもじい気持ちにはなるかもしれないが、それは受け入れなければいけない。ガンジーが言ってるだろ、『人間は生きるために食べるべきで、味覚を楽しむために食べてはいけない』。俺たちはもう、味覚を楽しむなんて事はしてはいけない。

 それに俺たちには大した思想はない。訴えたい主張もない。俺たちの言葉は誰にも必要じゃない。俺たちは一度世界に背を向けた人間。口も利きたくなかった世界。生まれ変わったからといってやっぱり笑いたい、叫びたいをこちらだけ勝手に望むのはダメなのだ。

 動きの奇妙さに反し、どこか悟りを開いたかのように穏やかな表情をマスクの下で展開させていた三人は、今度はガッシリと肩を組んだ。

 世界から一歩距離をとって生きていく、それで十分だ。だけどもし、どうしたって居場所がなく、誰からも疎外されるばかりで、周りの連中の暮らしが羨ましくてたまらなくて狂い死にそうになったならば、そのときは本当に仙人のように山で暮らし、川で汗を流し、洞窟でコウモリたちと雨風をしのげばいい。昔の人間を見てみろ、衣食住すべてを自分で作るんだぞ。修行僧を見ろ、彼らは俗世を離れる事で道を極めていくんだぞ。シンプルに大地の上で生きる事は、自然と共に生きる事は、何もないように見えて本当にたくさんの喜びがあるのだ。

 そして三人は肩を組んだまま円陣を作り、声のない気合を入れた。

 

 大丈夫! 俺たちは、大丈夫! 一緒に頑張ろう、おーー!!

 

「……さすがです。やはり意識のスタンダーダイゼーションはすばらしい」

 

 いなくなったと思っていた頭の声が急に復活し、三人の前向きな結論に少しホッとするように笑っていた。音声の端で何かペチペチと叩くような音も聞こえる。

 俺たちの思考はアイツに操られているのだろうか? 頭の片隅でそうも思ったが、全てをマイナスで処理し、自分で自分にトドメを刺していた以前と比べたら、この適当な前向きさが嬉しくてしょうがない。これが夢ではないのならばもう、なるようになるしかない。行けるところを行くしかない。

 そして三人は崩れるように円陣を解き、湧き出てくる笑いに体を揺らしながら地面に座りこんだ。そして互いに固い握手を交わした。初めましてだけど、これからよろしくねと。

 

「じゃあ、そういう事で一件落着? オーケーオーケー。それでは、エネルギー補給は事前予告なく定期的に行いますので、あまり無作為にマスクを脱いだりしますと補給を逃しますのでお気をつけて……」

 

 頭の中の声が話を締めようとしてきた。三人はなんとなくそこにいるようなイメージで空を見上げ、半分もうどうでもいいと思いながら、もう一度尋ねる。

 眼球愛護団体って何だよ? お前らの正体は何なんだよ? と。

 

「地球上の生物が持っている眼球ってやつはホント美しいものですね。我々はそれを保護したいだけなんです。それ以上は何もしない。自ら捨てる者がいるのならばそれを引き取って守りたい、そして出来ればお前ら自身にも眼球を大事にしてもらいたい、眼球のありがたさを実感してもらいたい。失くした奴ほどその感情は大きく残るはずです。その感情があれば他人の眼球も愛し、守ることが出来るはず。そしてこの世界のすべての眼球が永遠に輝き続けられる事を、我々同志一同、心から願っているのです。

しかし最近は電子機器の普及にともない人間どもの眼球の傷や濁りがひどいですね。それはとても嘆かわしい限り。ですがご安心を。近い将来、我々は地球上の眼球が抱える病気に対して新薬を開発する予定です。楽しみに待っていてください。

それではこれにて、眼球愛護団体・東A支部にあるお客様センターより、皆様に報告と注意事項をお伝えしました」

 

 最後まで分かりにくい説明を貫き通した頭の声は明るく、さようなら! と言って一方的に、今度こそ脳内通信を切った。

 黙って話を聞いていた三人は、全体的にものすごく誤魔化されたのだろうな、と感じた。そして、アイツはもしかして宇宙人なのかも……とも感じた。きっとそうだ。脳内通信ができるなんてもうそれくらいの規模なのだ。

 三人は再び顔を見合わせ、頷き合った。

 地球上の生物はすでに眼球に、何かチップでも埋め込まれているのだろう。宇宙人たちにどこかで監視され、眼球を保護するという名目上、その美しい球をいつでも狙われている……。もしかしたら自分達の他にも眼球喪失者のマスクマンはすでにいるのかもしれない。意識のなんとかのエネルギー代として声帯を奪われ……いや、セット割じゃない通常はもっと奪われるんだったか。果たしてそれは聴覚なのか嗅覚なのか、それとも四肢系だろうか? やはりよくよく考えてみると、とんだ代償だ。奪い、適度に与え、弱らせ、生かす……その構図にゆるやかな侵略の気配も感じる。

 そしてマスクマンになってしまったら「今まで生きてきた自分」とは強制的に切り離される事になるだろう。つまり行方不明者がこの先続々と出てくるということ。そしてマスクマンになり得なかった者たちの「眼球のない死体」もたくさん出てくるのかもしれない。……これはまさに世紀の大量失踪事件! そして大量猟奇殺人事件! それともUMAのようなオカルトブームの再来となるか……。

 ぼんやりと空を見上げたまま、それぞれの座り方で、現実味のない話を考えていた。

 そして最終的にこの世界は声を発さないマスクマンだらけになって、でもきっと頭はハッピーなバカばかりで、揉め事や戦争も徐々になくなっていくのだろう。もしかしたらその管理しやすい人間たちを作ることこそが、奴らの狙いなのかもしれない。しかしそれはそれで……幸せな世界なのかも?

 三人は首をひねりつつもマスクの中で口角を持ち上げていた。

 

 夜の闇はすっかり消え、東の空には朝日が昇っていた。屋上から見える景色の中には動くものたちが増えつつあった。"まともな”人間たちが活動を開始している。

 何の意味もないクソみたいな風景だと思っていた。だけど生まれ変わり、見え方が変わり、そして少し遠くなってしまったその景色が、今は懐かしく、愛すべきもののようにも思える。

 三人のうちの一人が何かを思い出したかのように手の平に拳を打ちつけた。そしてポケットを探り、そこから千円札を二枚取り出して二人に見せる。三途の川の渡り賃としてポケットに入れていた、というジェスチャーをしてみせる。三人でまた声なく笑う。

 しばらく何をするでもなく快楽に任せてダラダラと時間をつぶした後、三人はビルの屋上を下りた。

 階下のビル内部もやはり廃墟然としていたが、あるフロアの一部に、黒いカーテンに覆われ、中央に石製の台座が五つ置かれている怪しげな部屋があった。朝でも、きっと昼でも真っ暗だ。それぞれの台座の奥には見たこともないような大きな機械が禍々しく居座っている。医療器具のようなものが辺りに散乱し、血痕のようなシミも転々と落ちている。血生臭さが辺りに漂い、重苦しい空気を感じた。

 三人は見なかったことにして早々とビルを後にした。

 しかし思った。俺たちはここで処置を受けたのだと。ここは拠点だと。

 

 朝の時間を急ぐ人々の群れが少し落ち着いてきた時間帯。三人は全く知らない街を歩いていた。自分たちの部屋からどこへ連れて来られてしまったのかとキョロキョロと辺りを見回しながら歩き続けていると、思っていた通り、異様な三人組に向けてあちこちから視線が注がれてくる。そんな人々の視線に、意識したこともなかった人体の組織としての眼球をこちらからも見つめる。今日がハロウィンならまだしも、あいにく何のイベントもない普通の平日(だと思う。最近は曜日の感覚がない)。そりゃ目立つだろう。自分達はもう本格的に、まともな人間には戻れないんだなあ……と、感慨深げな台詞を笑顔で思った。以前にはなかったこの余裕。他人からの冷たい視線にダメージを食らわないのはありがたい。

 しかし実際問題、一体今から何をすればいいのかよく分からない。何から始めるべきなのかも、妙な高揚感が邪魔をしてあまりまともに考えさせてくれない。このまま無計画にハイテンションを続けていると、そのうち事故にあったり危険な人間に絡まれる恐れもあるので気をつけなければいけない。今の自分たちには病院も少し難のある場所なのだ。

 ただ一つ言えるのは、俺たちは一度終わった。全て失った。よく分からないが、それに強みのようなものを感じる。そして少しだけ以前よりはこの世を楽しめるように改造されて、途切れた糸がまた繋がった――それだけの存在なのだ。

 つまり俺たちのこれからは余生だ。オマケの人生だ。何しても良いわけではないが、いい意味で捨て身に、捕まらない程度に思う存分楽しまなければ勿体ない。それだけは強く思える。今はそれだけを頼りに進んでいこう。

 そして三人は周りの視線を無視し、たまにおちゃらけたりしながら、とりあえずこれからの楽しい人生の作戦会議をするために文房具屋を探して歩いた。

 紙と筆記具を買うために。

 

 *

 

 ここは眼球愛護団体・東A支部、処理班控え室。

「アー、シマッタ、サッキノ三人……」

「何? ドウシタノ?」

「微妙ニ、パワー不足ダッタカモ」

「何ガ?」

「意識ノスタンダーダイゼーション。完全ニ吸イ出セテナイカモシレナイ、特二一人ハ結構ノコッテル……セット割トカスルカラ」

「……何カ、問題起キル?」

「ウーン……、場合ニヨッテハ、元ノ性格ガ出テキマスネ。不安定ナ状態ニナリヤスイ」

「他ノ眼球ニ影響アル?」

「……イヤ、他人ノ眼球ヲ傷ツケタリハナイト思イマスヨ。タダ、眼球ヲ愛スルカトイッタラ微妙デス。アト、最悪、マタ自殺スルカモシレナイデス」

「……ナラ、マアイイジャン、大丈夫大丈夫。放置デイイヨ。三人デ助ケ合エルヨ。バランスバランス」

END